グループワークとか…。

何か全般的に能力は高め。故に、他人にまかせるくらいなら自分で完璧にやってしまいたい。という風に育った子供は、本当の意味で他人を信頼することが難しい、らしい。本来は幼児ができないことを母親にやってもらうことで信頼することを覚えていくらしいのだが、能力が高すぎる子供は自分で何でもやってしまうため、ずーっと依頼もしないので信頼することがないままで来る。もろに、そんな子です。
だから、中学の時の総合学習でも、ゆるい子と組むのが嫌で結構サバサバ、パキパキ動く子と組んだのだな…。腹立つんだよ、仕事が遅いやつ。「はやぐ、しろじゃ!!」って思っちゃう。ただ、遊ぶだけなら良いのだが、絶対、お前とは仕事したくねぇと。「どうしよ、どうしよー?」とか言う子が好きでない。そして、遺伝子的に人の上に立ってこそ輝く子らしいですよー。総括すると「努力しない君はカスだよ☆」ってことらしい…。…カスです。現時点では。ごめんなさい、自分自身に対してのごめんなさい。
ちょっと一所懸命に勉強することに対しての恐怖心があるのです。よく「死ぬ気で勉強しても、本当に死んだやつなんか見たことないよ」とか言いますけれども…。血縁者で、相当、勉強のお出来になった方が、若くして亡くなられているのです…。「勉強できた」=「病死」ではないだろうけれども、何かいつもこのことがひっかかってしまうのです。
僕が本気で研究に身を捧げるということは、それ即ち、冗談ではなくて寿命を縮めることに繋がってしまうと本能的に理解してしまっているのです。漫画家の手塚治虫氏がいい例で、あの方は本当に自分の命を削るようにして仕事をしてきました。僕は死ぬのが嫌で、勉強を避けているのかも知れません。でも、いくら努力してみても研究以外に、ある苦しさを克服することはできないのです。僕は生涯、この苦しみを背負っていきます。でも、僕が研究することによって、似たような苦しみにいる人たちを救えたなら、それはなんて素晴らしいことだろうと思います。
以下、読了。
フィッシュストーリー
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