能「恋重荷」も、またディストピア。

「古典芸能への招待」能「恋重荷(こいのおもに)」
山科の荘司、登場からして、「このおじいちゃん、絶対重いもの持てないでしょ!!」と、大変切なくなる。
もうすぐ重陽節句だから、菊の花が出てくる話なのか。
なんだか『花よりも花の如く』で、ケンちゃんが考えていた「この話の女御は嫌な女だ」とかそんなことは考えずに、ただ綺麗な女御を演じればいいんだと上の人から言われていたのを納得。
これは、山科の荘司の心の動きの問題が主題なのだ。だから、過去にはあった山科の荘司が女御を責め苛むところが途中の段階でなくなったというのは、解るなぁ~。
そもそも女御も、「菊が綺麗」くらいは言ったから、山科の荘司が惚れたのかもしれないが、女御が山科の荘司に積極的に会いに来ただの、文を送りまくっただのしない限り、「嫌な女」にはならないはず。恋を諦めさせようとしたのは、まわりのひとだし。
「鉄輪(かなわ)」だと、夫に復讐するために、毎日フルマラソンくらいの艱難辛苦をもって、女は鬼になるわけですが、山科の荘司じゃ無理。おじいちゃんだから。現世では、恋人になれません。とうとう恋死にする山科の荘司。転じて女御を守る神になります。結局、山科の荘司が女御の近くにいるためにはこれしか方法がなかったのではないかと思われます。ケンちゃんの先生の解釈だと、山科の荘司は女御に「私のせいで、恋愛で辛い思いをしたでしょう。でも、これから先あなたは恋をしてもいいんだよ」だそうで、どこからどう見ても純愛でした。
一方、「竹取物語」では、状況は同じでも、かぐや姫メインだもんね。