得体の知れないものをつくる。

一人暮らししているというと、必ずのように「自炊してるの?」と聞かれるものだ。その場合、僕はいいえと答えることにしている。自炊の定義がどんなものかは知れないが、それでも、僕の料理もどきを「料理」と認めることに納得いかないのだ。これを「料理」と認めたならば、それはすなわち料理に関わる職業人をことごとく貶めることになるからである。そんなことは、許されない。
ひどいことには、カレーで失敗した。兄曰く、「材料を温めただけ」。材料が固いだけで、何とまずくなることか!そう、ちゃんと、火を通しましょう。でも、火が恐い。恐いんだぁーっ!そもそも、この時点で無理なんだ。第一、友達には「俺はもうガスコンロを使わないことにした」と宣言してしまったくらいだ。フライパンはただのオブジェと化している。
大抵の人間は一人暮らしを始めると、自炊にチャレンジしようという心構えもしくは妄想くらいはするものだが、その後の運命は二分される。料理の道を極めんとする者と、自炊を放棄してしまう者にだ。
それでも、後者を非難されることは忍びない。彼らには、事情があるのだ。ひとりひとりのストーリーが。たとえば、せっかく丹精こめて作られた野菜さんをまずく加工してしまっては、生産者さまにも野菜さんにも申し訳ないとか、美味いか不味いかくらいはわかるつもりだが、いかんせん味付け能力が皆無だとか、だ。
味付けに関していえば、それはその人の育った環境も大きく影響しているはずだ。環境を憎んで、料理下手を憎まず。昔々、まだ冷蔵庫といふ魔法の箱が存在すら知られていなかった頃。人々は知恵を絞った。そして、塩を多量に使うことによって保存性を極限にまで高めた。また、砂糖も当時の人にとって、貴重なものであった。ということで、DNAレベルで味への感受性が違っている。今の若い子は、おいしいものに慣れているしな。ちなみに、スイカに塩はかけないが、トマトに砂糖をかける地域です。(←おいしいんだよ!!)
以下、読了。
ゴールデンスランバー
ゴールデンスランバー
最近、本を読むスピードが落ちているように思う。ま、学校にちゃんと通っている証だろう。というか、新書を持ち歩くのは非常に辛い。重い。高い。場所とる。伊坂さんの本、厚いし。
妹に「本、送るなよ」と言われたり…。うーん、どうしたものか。ってか、ルーズリーフはむしろ不便だと思う。だって、すぐバインダーいっぱいになっちゃう!それに、部屋の片付けの苦手なタイプのアスペは絶対的にノート使ったほうが良い。解ってはいるのだが、大学の授業というものは、どれくらいノートをとるのか先生によって未知数であるからな。語学はいっぱいとるだろうなとは予想できるが。