高校卒後五年。

五年前の本日、僕はなんとか高校を卒業したのでした。
卒業式と言えば、大抵、中途半端な時間から式が開始されるので、卒業生を送り出す側の在校生もまた中途半端な時間に登校せねばなりません。いつもどおりの時間帯ならば、車で送っていってもらえるものを、「その時間はもう就業時間だから歩いて行け」と言われるのです。学校の近い小中学校ならばそれも良いでしょう。高校は遠いのです。雪道を歩きながら、「私は何故、かような苦行を強いられているのだろう・・・?」と思いながら登校した学生さんは多いでしょう。私の友もそのひとりでした。
そうして、五年前のあの日。
卒業式の前日には受かるはずもない中期試験を受けに行って帰ってきて、担任からは「受けてきたのか?」と問われれば、「受けてきました」と返答するしかないのです。気になるのは、?組の皆さんでした。制服の胸に、誇らしく咲く赤い花をつけていなかったのです。何故・・・?普通、忘れはしないでしょう。どこかの学校の時分には、卒業生が登校時に在校生から胸につけるお花を頂く感涙必死の慣習があったのですが、高校には残念ながらなかったのですね。生徒会長は予行でも悪評の高かったリボンを相変わらず頭につけています。そんなことだから、精神の均衡を崩すのです。時には、引く勇気も必要でしょう。
卒業生代表、つまり、我らが理数科主席のやつは、腹立たしいことに隣の席の医学部にセンター推薦で合格した男子生徒でした。忘れもしない、やつの自己紹介。「耳がおっきくなっちゃった」とわざわざ小道具まで用意しておきながら、それも失敗。彼が全うな医学生生活を送っていたとすれば、四月からは最終学年の六年生です。まあ、あんなに手先が不器用であるのなら、外科は無理でしょうね(笑)。そこは東北なのに、何故か関西弁なまりの数学教師。そこまで仲も良くはないのに、素敵フレーズを授けられた僕は三年間の苦行を思って号泣したのでした。