目指すところ。

近頃、「質の高い生活」というものを目指してはいるのだが、具体的にはどういうことなのだろうかと思い悩んでいたりする。
まず、僕の考える「頭の良い人」というのは、自分なりのルールが明確にある人だと思っている。失敗をしたらそれを活かして前に進むことが必要。再挑戦するときには、「目的」を持って試行錯誤してみる。ただ漫然とやっているだけでは駄目だ。無意味である。
一方で、どうも僕は現実世界に即して生きているとは言いがたい。ふわふわしているのである。しかしながら、「ふわふわしているから、しっかり地に足をつけて生活しなさい」と言われたからと言って簡単にできるものではないのだ。
ここで、ヒントになるのは現代文の問題を解くことだ。たとえば、「この傍線部の説明として正しいものはどれか」というので、選択肢を見るとどれも似たようなことばかり書いてあるように見える。しかし、実際にはAとBとCの根拠が揃って正解となるのに、AとCの根拠しか示されていないものを選んでしまったりする。
そういった問題の解き方を習得するには、「何故、間違いなのか?」を永遠に考えるよりは、「どうすれば、正解なのか?」を考える方がよほど建設的なのである。「間違いでないもの→正解」とはならないのだ。ただし、「正解でないもの→不正解」ではある。似ているようで、違っている。
ということで、習慣にしようと試みているのは、「抽象的なことを現実に対処できるレベルまで次元を下げる」ということである。「ふわふわはいけない」と注意されたところで、では具体的にどうすればいいのかということになる。こういうときこそ、問題をわけて考えることが必要となる。
結局、「自分のやりたいことができて」いて、世間では「成功している」と言われる人たちというのは、自分のことがよく解っているのだと思う。言うまでもなく、人並み以上の努力をしている。ただし、「うまくやる」やり方を人よりも多く知ってはいるのだろうが。



自分の中で「これでいい」という“関所”を設ける。←これがないから、僕の作品は中途半端なんだなぁ、と知る。
感動したことば。「歴史と伝統が残れば、国はあり続けるだろう」