「雑学」としての一般常識。

先日、もろに地元の病院のことをNHKの番組で見る。そこで、思ったのは「知識」がないから話が全く噛み合わないのだということ。やはり、話し合いだったり現場でしか知りえない情報というものは確かに存在する。知識を得た上で、相手方の感情をも読み取り、初めて物事に対処しなけれなならないのだろう。
はっきり言って、高校は医学部に行くため、高卒資格を取るためだけに無理して通っていた感があるのは否めないし、大学も二年間以上在籍したので、まあもうどうでもいいようなところもある。正直、大学でやっていることは僕にはほとんど関係がない。
「信じるもの」が多いほど、生きやすい。だから、僕はそれを増やそうとはしている。高校の教科書でもその世界の本当に基本的なことくらいは抑えられる。「見えない」ことは恐ろしいことだと思う。「信じるもの」=「いろいろなこと、知識」が増えれば自分が内面的に生きやすいばかりか、社会的にもそうであるという。お得だね☆
そういうわけで、つまらなくても多少は理解しておいたほうがお得なことも世の中にはきっとあるんだな、と思ってみたりはするが…。面倒くさいおばけとの闘いになる。やはり、怠惰な子だ…。