山の規模か。

心の拠りどころとも言うべき、故郷の誇る自然物。大抵、それは山か海である。校歌でも必ずと言っていいほど、地域の山、川、平野などを歌う。
小学校の敷地内に幼稚園があって、行事なども合同で行なうため、意味もわからずにただただ校歌を暗記させられる。ついでに家の電話番号と住所も覚えさせられた。たまに全校集会にて校長が歌詞の意味を説明する。しかしながら、ひとつも覚えてはいない。高校生になり古典の授業を受け、「あれはああいう意味だったのか!」と一部分理解しただけである。これは、意味があるのだろうか。意味も解らずに校歌を歌うと言う…。
中学の校歌が今風であることに多少の違和感を持つ。「何か、変だ。しっくりこない」
高校の校歌の作詞者は佐藤春夫である。新しく赴任してきた音楽教師が「私は佐藤春夫の作品が好きです。だから、佐藤春夫が作詞した校歌のある学校に来られて嬉しいです」発言をする。その校歌を大きな声で歌わないとは何事かと、本気でキレる。
男子が歌うには高音部がきついのである。女子でも声の低い生徒は裏声で歌わなければならないほどだ。まあ、校歌をきちんと歌わなくて怒られるというのは、小中高どこでもつきものではあるが。
ちなみに、校歌を作詞してもらうにあたって、ちゃんと佐藤春夫は学校の周りを見てまわったそう。学校側の対応が丁寧で素晴らしいと大変喜ばれたと聞きます。すずかけの木が「プラタナス」ではなくフランス語読みの「プラタヌス」なあたり、お洒落です。さすがです。古語とフランス語のコラボレーション。東大における銀杏、京大における楠は、うちの高校ではプラタヌスですな。ま、ポプラ並木とか銀杏とか杉とか桜もありますが。校歌に出てくるのは、プラタヌスと桜です。
高校の何かしらに個人的な思い入れを持った教師の例で言うと、在学中の女子生徒には大変不評なジャンパースカートがあります。「私はジャンパースカートが好きで、何着か持っているのに。あなたたちはどうしてきちんと着ないの!?」と。
驚くべきことに、ジャンパースカートでありながら、スカートの丈を短くする生徒が少なからずいるのです。普通のスカートならばいざ知らず、ジャンパースカートでそれを実行したならば腰まわりが大変もこもこするであろう。
つーか、一番の問題は暑い。一部の生徒は夏用の生地の薄いものを着用するが、持っていない人のほうが大多数である。夏でもせいぜい27、8度くらいにしかならないのもあるだろう。冷夏だと本当に寒いしね。高校に附属中学ができて、それもシャツを白いものから水色のものにして、女子のリボンは茶色にしただけで後は高校と共通となったのでもはや制服が変更されることもないと思われる。というか、卒業したら大抵「もうずっと変えないで欲しい」と思ったりする。推薦入試で他校生から「私立?」と誤解されるほどのクラシカルさ。戦前の映画に似たような制服が出てきたり。
理数科地獄もあったが、附属中学から持ち上がりで高校に入る関係で理数科なくなります…。出身者としては非常に切ないものがあります…。ああ、もう二年生と三年生しか理数科がないのか!!哀しい、ただ、哀しいぞ。まあ、しかし、附属中学出身者がいわゆる*1「理数科地獄」を引き継ぐことになるであろうことは想像に難くない。一日中英語で話す合宿とか、大学から先生呼んで授業とかめちゃくちゃ大変そうだもの。馬鹿だと居づらそうだ…。
地元の山は、1500メートル以上あって富士山のように「青いもの」です。仙台や盆地での違和感はこれだったのかと気づきました☆

*1:理数科はなくなるが、今年から普通科の普通コースとSSHコースになるらしい。あ、憧れのスーパーサイエンスハイスクール!!…遅いよ。