『霧越邸殺人事件』、作風と文体の不一致。

以下、読了。

今年は四月になっても、バリバリ降雪していたので、「まぁ、綾辻行人の世界みたい」と思いながら、『奇面館の殺人』やら、『霧越邸殺人事件』を読んでおりました☆
名前のリストを見て、「そうか、名前に『×』が入っている人が、『景色(けしき)』というダジャレでやられていくんだ」と思ったら、全然違いました。でも、これもあえて言及してないだけなのかなんなのか謎。
作品の発表当時、賛否両論があったというのは、多分、作品の構想自体に文句を言っているのではないと思われます。
作者も言及している通り、文章がかたいのです。学術書みたいな文体なのに、え、いきなり、ファンタジーな世界行っちゃうの? みたいなことです。まぁ、大学院 まで行っていたら、文章がかたくなるのも仕方ないかなとは思いますが。
落語家が言うには、真面目な見た目の人が郭話やっても受けないし、チャラい見た目の人が人情話やっても泣けないということです。まぁ、落語家はお客さんの反応が生で見えるけど、小説家はそうもいかないからなぁ。
時計館の殺人』なんかも、完全に作者が頑張っている感が透けて見えてしまって、まぁ、だから、受賞もされたのだろうけれど。ファンタジー強めの世界で、そういう俗物的な努力が見えると、夢から醒めてしまいます。
有栖川有栖の文章は、「白米って、おいしいよね」みたいな文章なのになぁ~。
アニメ「さよなら絶望先生」で感じた「声優にキャラが合ってない」感覚の惜しさ。京極夏彦は、作風と文体が一致しています。そこのところ、うまい。
そう言えば、京大出身の小説家の文章が格調高くなりがちなのは、一時期まで、入試の国語で、明治あたりの小説が頻出されていたからでしょうね。森見登美彦氏、万城目学と。わざとじゃないの、自然にそうなったんだよ。